2006年11月 4日 (土)

食育講座

娘の通う公立小学校にモスバーガーの社員が出張食育講座をしてくれました。

食育といってもゴミ問題に関する環境講座がメインでした。外食産業から出るゴミの量より家庭から出るゴミの量のほうが多いこと。家庭ゴミはいろいろなものが混ざっているので焼却処分されるしかありませんが、モスの場合、ペットボトルはトレーに再生し、生ゴミは畑の肥料に再生されているそうです。日本は全ゴミの約3分の2がリサイクルされているそうですが、それでもリサイクルされないゴミの量はそれをすべて再生できれば地球上の餓えている人をすべて救えるほどの量なのだそうです。

つまり、家庭のゴミを完全に分別してリサイクルするか、食事をすべて外食産業にたより(食べ残さず、容器はリサイクル、袋は紙にして廃品回収)すれば、地球から餓死はなくなるということでしょうか。

まあそれは極端な例ですが、「食育」というと、大抵家庭で食事を手づくりしましょう、という話になります。しかしゴミ問題に取り組みながら家庭で手づくりすると大変なのは事実です。私は1ヶ月間家庭ゴミを減らすモニターになったことがあります。野菜は皮までとことん食べ、袋菓子は買わず手作りし、ティッシュは使わずタオルを使い、かなり頑張りました。実際ゴミはかなり減りました。子どもたちと私の感想は「大変だった~」。とにかくすべて分別し、ゴミ箱は撤去。そのとき私が思った本音は(家事をするからゴミが出るんだなあ、出来たお惣菜を食べる分だけ買えばトレイや包装紙を分別するだけで済むのに)と。また、ゴミを減らそうと昔ながらの生活をすると洗いものが増えるので、水道料がいつもより倍かかった気がします。日本では忘れられがちですが、水不足こそ地球レベルで懸念されている問題なのです。いかに水を使わず食物を生産するかが日夜研究されています。昔ながらの農業がいかに水資源を必要とすることか。化学物質も嫌われますが、例えば自然界のものは全て化学物質からできているそうです。ビタミンC、カロチノイド、クエン酸等々。保存料や添加物は例えば一度に8000個の添加物オレンジを一度に食べれば死に至る、という量なのだそうで、それを毎食食べたからといって問題はないとされる量が規定されているそうです。とかく悪者とされるファーストフードやコンビニ弁当が企業努力により栄養や塩分をしっかり考え過剰包装をなくしリサイクルできるものになれば、むしろそのほうが地球環境に良くなり、それを利用することによって家事時間も短縮され、子どもとのスキンシップや自分の時間が確保できるようになり、結婚生活や育児は楽しく、また企業成績が上がれば雇用も増え、賃金も上がり、支出も増え、経済は活性化されることになるのです。

実際に企業努力は始まっています。冷凍食品は解凍するだけのお弁当が増えてきました。「ヘルシーパレット」なんていうそれだけで必要な栄養素が計算された冷凍食品も目にします。冷凍食品の進歩は「プロジェクトX」でも放送されていました。安心して消費者が利用できるよう研究されています。そしてわたしたちもかなり信頼しているのではないでしょうか。

決して家庭での伝統的調理法を否定しているわけではありません。我が家では子どもたちと餃子の皮から手作りしたり、パスタを作ったり、冷凍食品やファーストフードで食べられるものをわざわざ手作りしたり、パンやケーキも手作りします。その良さ、大変さをしっかり知った上で現代の食品をじっくり選んで欲しいと思います。もし将来そういう食品の開発に携わったときに伝統的なものを知らなければ、間違いに気づくことも、伝統に近づくことも超えることもできません。

家事がお得意な人はそれは立派ですし、そうでなくても家事は楽しめるのだと認識すればもっと楽に結婚生活、育児生活ができるようになり、少子高齢化対策になると思うのですが。

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2006年10月29日 (日)

子どもの体力低下問題

子どもの体力低下に関するシンポジウムに参加した。1977年代と今とでは、小中高生の摂取する脂質量や炭水化物量はむしろ減少しているのだそうだ。日本の米食離れの結果か、朝食を食べない子どもが増えているからか、食育の成果か、とにかく摂取エネルギー量は増えていないのだそうだ。にもかかわらず年々肥満は増加傾向にある。これはどういうことか。あきらかに運動不足の結果ということになる。学校の新体力テストでは、反復横とびが1メートル20センチから1メートルに減らされ、懸垂はなくなり、1000メートル走、1500メートル走はシャトルランという自分の能力に応じた距離を走るというものになった。立位体前屈や上体そらしなどは腰を痛める生徒が続出したので座って測定できるものになったそうだ。本当に運動不足としかいいようがない。

しかし、無理もない。今都会では思いっきり走りまわれる原っぱはないし、あったとしてもこんなに事件が頻発しては「遊んでおいで」とは言えない。誰かと一緒にと思っても少子化で近所に子どもはそうそういない。

それでも運動に重きを置く家庭ならば、週末の少年野球や少年サッカー、スイミングなどのスポーツクラブに子どもを通わせるだろう。しかし、少年野球や少年サッカーは送迎や役員など親の労力もかなり必要とされ、スポーツクラブなどは高額な費用がかかる。女の子の場合は地域で参加できるものが少なく、クラッシックバレーなどはさらに費用がかかる。それができる家庭とまったくできない家庭ではかなりの差がでるだろう。運動能力も勉強も二極化の進行が抑えられない。

結局、運動も習い事もきらいな子どもは家でTVゲームということになる。それをさせてしまうのは「親の怠慢」というような意見も出た。ではどうすれば?子どもを外に連れ出して一緒に遊ぶ?

運動能力だけではなく、防衛体力(風邪をひかないとか疲れにくさ)も低下傾向にある。それは規則正しい生活リズムと食生活に起因しているようだ。全国的に「早寝、早起き、朝ごはん」というスローガンのもとに生活リズムの改善と食育が叫ばれている。そこでもやはり朝ごはんを作らない、コンビニ弁当で済ますなど「母親の怠慢」が問題視されていた。もっと母親は勉強会に参加するべきだ、と。

私も子どものPTAに長くかかわってきて、勉強会や講演会に数々出席し、全ての保護者が子どものために体力作りも生活習慣も奨励されているように行うべきだということは十分納得し、賛同している。しかし、PTAの企画する行事に参加する保護者が年々減少しているというまぎれもない現実。

保護者が動かない理由はさまざまだと思うが、大きな理由を挙げるとすれば2つあると思う。ひとつはインターネットの普及で情報が簡単に手に入る時代、知識の豊富な保護者も多い。わざわざ講演会に参加しなくても勉強はできる。雑誌でも特集が組まれている。とくにPTA行事というのは一種独特な体育会系の雰囲気があってひいてしまう。なにもみんなで集まって学習しなくても一人で大丈夫という保護者。もうひとつは、本当に余裕のない保護者。金銭的にも精神的にも。これからは共働き家庭が増えていくだろうし、バブルの頃のような高収入家庭も減っていくかもしれない。高齢化で介護が大変な家庭も多い。

理想は保護者の理解だが、現実は保護者の教育は難しい。パチンコ屋に子ども連れで出かけて車内で死亡させてしまう保護者に食育してもはじまらない。子どもを虐待してしまう親にPTA参加を促しても難しい。親を教育するより先に子どもの健康と安全を守ることが先決なのだ。そういう例は特別としても、親を教育している間に子どもはどんどん大きくなってしまう。子どもの成長は大人よりうんと早いのだ。

どうすればいいのか。もちろん大人の教育は大切だ。毎日の食事日記をつけるとか、きめ細かいプログラムのPTA行事も継続するべきだ。でも、どうしてもできない親がいることを忘れないで。その場合は温かい援助の手を差し伸べようではないか。親ではなく、子どもが宝なのだから。朝ごはんが用意できない家庭なら、子どもにしっかり給食をとってもらう。そもそも給食は栄養状態の悪い家庭のためにはじまった制度なのだから。親が育児に関われない状況にあるのなら、理由を問わず知育、徳育、体育や食育を子どもに思いっきり学ばせる場所を家庭以外に作ればいい。地域には豊富な人材がある。就職したくても就職できない学生もいる。そして学校という場所がある。学校の先生以外のそういう人材に国や県や市が財政を投入してほしい。そういう温かい手を経験した子どもたちはやがて温かい手をさしのべる大人になるだろうし、仕事が増えてニートが減れば税金も増える。足りなければ今より税率が上がるのも仕方がないが、皆納得できるだろう。保護者は自分の子育てに責任を持つのは当たり前だが、たとえ行き詰っても、温かい手がたくさんある社会なら、少子化対策にもなるのではないだろうか。全てを母親のせいにされては子どもを生みたくなくなってしまうのも無理はない。今思うと、私の両親は戦時中に大変な思いで育ってきて食育なんて知らない。私は5大栄養素は学校の家庭科で習ったし、家庭料理は料理教室で習った。私の場合母親から習ったわけではない。

今時の高校生(ふらふらしていてだらしない?)になった責任も親にあるという話がでたが、高校生にもなれば親から離れて社会に出て行かなくてはならない。そのために親以外の大人の存在がとても重要だと思う。だから高校生にもなれば家以外の居場所を欲しがるし、第三者の大人を欲しがる。そのどちらも今用意されていない。つい出会い系に走ってしまったりする。

私の理想は、地域の身近にある小学校がもっと場所を提供するべきだと思う。小学校の授業が終わっても家に帰らず授業後学校にすればいいではないか。遅れている補講をするのもいいし、体をつかった遊びや手先を使う遊び、食育や保育や性教育をするのもいい。授業後学校の先生は地域の人でもいいし、高校生でもいい。ただもちろん授業後教師の研修認定制度は必要だろうが、その研修認定は13歳以上ならだれでも受けられるようなものであっていいと思う。その研修に認定されれば大人への第一歩にもなるし、一仕事終えた人の新たな場ともなるし、もちろん先生は有償。公共機関が出すのもいいし、企業がバックアップするのもいい。私はTVゲームやコンビニ弁当を否定しない。今回の食育でもコンビニ弁当に使われている添加物が悪者に指摘されていたが、添加物に関しては、例えば8000個の弁当を一度に食べれば死に至る量、つまりたとえ毎食食べても害はないとして認可されているものだと聞いた。これから世界レベルでは食料危機がくるのだそうだ。それなのに添加物なしの昔ながらの食事に戻るとは考えにくい。各ファーストフードも食育に取り組み始めた。コンビニ弁当の便利さを知ってしまった以上、排除することはできない。ならば企業が消費者のために取り組んでいくべきだろうし、実際にその傾向にある。TVゲームにしても同様に子どもとゲームの付き合い方の研究がはじまっている。教育機関は一緒に考えていく時代になってきていると思う。当然企業は学校教育のスポンサーになるべきだろう。そのことによる企業イメージのアップは大きいはずだ。

最後に、私は学校は社会性を身につける場だと思う。つまり人としての集団で生活するための基礎を築く場。食育も知育も体育も徳育も。家庭にはそれぞれの事情があり、方針がある。だから家庭に社会性を求めるのは難しい。家庭は個性を育む場だと思う。今の学校は学校で個性を育み、家庭の保護者に社会性を求めているような気がする。

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